あの本は読まれているか

東京創元社
ラーラ・プレスコット 著 / 吉澤康子 訳
2020年4月24日初版発行 四六判・444頁 本体1,800円+税

『ドクトル・ジバゴ』出版の翌1958年に、
著者ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークに
ノーベル文学賞がおくられた。

『ドクトル・ジバゴ』は、ロシア革命期を舞台に、
主人公の恋愛と生涯を通して、当時のロシアの
混乱や苦難、社会の混乱を具体的に描いている。

それを、ソビエト連邦政府はロシア革命の否定と捉えた。
その作品によってノーベル文学賞を受賞するというのは
国家への侮辱であるとして、ボリスに受賞の拒否を迫った。
紆余曲折のすえ、最終的には圧力に屈し、
真意はともかくボリスは受賞を辞退した。

祖国で『ドクトル・ジバゴ』の刊行禁止が解かれたのは
ボリスの死後18年が経った、連邦末期の1988年。
それまで彼の作品は、翻訳された外国語版しか
発行されていなかった。

これらは、Wikipediaにすら記事があるほどの著名な事実だ。

ノーベル賞は多分に政治的に利用され、またそのことを
ノーベル委員会が戦略的に使うことは知られているが、
世界最高の権威と評価されていたのは昔も変わらない。
その文学賞を受賞し、大きな反響を呼びうる作品が
共産主義国家を否定的に描いていることは、冷戦真っただ中の
アメリカにとって好都合だった。

ソ連の体制を弱体化させるため、アメリカ中央情報局(CIA)は
『ドクトル・ジバゴ』を利用した。
禁書をソ連国内に送り込んで、反共産主義機運を醸成する
作戦を実行したのである。

このドクトルジバゴ作戦に関する機密資料が、
2014年に機密解除された。
資料は個人名や詳細が黒塗りされていたそうだが、
それを読んで著者・プレスコットは、想像によって
不明な点を補い、本書を執筆したと訳者あとがきにある。
プロセスそのものも、すでにしてスリリングである。

この作品には、アメリカのスパイ映画によくあるような
疾走感や派手なアクション、子供心をくすぐるガジェットは
いっさい出てこない。
ドクトル・ジバゴ作戦に関わった、立場も境遇も雑多な人たちの
生活を交えながら、それぞれが為した仕事を描くだけだ。
わかりやすいカタルシスとは違う面白さが、
じっくりと時間をかけて読んでいる私を捕らえていった。

似た感覚を最近も感じていた。
『バビロン・ベルリン』というドイツのテレビドラマである。
ワイマール共和国時代が舞台、主人公は警官。
スキャンダル、国家的陰謀、スパイ、それぞれの動きが絡み合い、
容易に全貌が見えない。
派手なアクションもないのも共通している。
じっくり、ひとりひとりが生きて仕事しながら
企み、調べ、達成したり失敗したりするのである。

そういう描き方が、重い手応えを残して
何度も鑑賞したくなる。
共感とはまた違うのだが、感情移入のようなものだろうか。
ジェームズ・ボンドの真似は出来ないししたくもないが、
CIAが本を配るという作戦、関わってみたかったと思う。