河出書房新社
篠田桃紅
2014年12月20日初版発行 文庫判・251頁 本体840円+税
2021年に107歳で亡くなった書家、篠田桃紅さんの随筆。
書き出しから引き込まれる。
君看雙眼色(君看よ双眼の色)
本来は「不語似無憂(語らざるは憂い無きに似たり)」と続く、
「槐安国語」の一節で、下句の優しさがあると安心なのだが
本当は前句五字だけを書きたい、という。
君看雙眼色 不語似無憂
(君看よ双眼の色、語らざるは憂い無きに似たり)
何も語らなければ、悩みなど無いかのように見えるが、
両目をよく見てみなさい。
語らざるは憂い無きに似たり、のところに
ひとしずくほどの優しさがある、と受け取っているのが
そもそも凄い。
口数が多すぎ、何につけても説明を求め
“わかりやすさ”を求めすぎる、感受性の鈍い私たちを
戒める一連の句のように聞こえるが、それは桃紅さんには
優しさであったようである。
君看よ双眼の色、人の両目の語るものを見なさい、
だけで放り出されても、そこからどうすれば?と
思ってしまうが、その言葉の外の余白こそが
桃紅さんの求めたものだったのだろうか。
墨で文字を書くのではなく余白をどう残すのか、が書だ、
と他の随筆で書いておられた。
それが書だ、という言葉は、書肆みず盛りのロゴを
書いてくださった伊藤康子さんもおっしゃっていた。
その感覚の域にはまだ到底届かないが、
桃紅さんの文章は、どう読んでも書家、という
余白、余韻がある。
読むたび唸らされ、余韻に感じ入る一冊である。