あおもりのき第17号花田ミキ特集

ものの芽舎
2024年5月10日発行 A4判・56頁 本体700円+税

2024年7月2日を皮切りに、『じょっぱり-看護の人 花田ミキ』という
映画が公開される。

もと従軍看護婦であり、戦後には日本看護協会の青森支部や
県立高等看護学院の創設、看護婦・保健婦・助産師の
育成に尽力し、2006年に91歳の長寿を全うした
花田ミキを描いた映画である。

花田は大正3年(1914年)青森県中津軽郡清水村に生まれた。
家庭の事情で自立自活のために看護婦を目指したが、
職についてまもない23歳のころには日中戦争が開戦。
青春時代の長くを戦場で過ごすことになる。

博愛や人道主義で看護・医療の道を選んだわけではなかったが、
戦場で亡くなる多くの若者を見て、自らも結核・チフスに
感染して軍病院に入院したなかで大きく感じるところがあり、
保険看護への意識が大きく変わったという。

就職した当時の考えでは、女性は女学校を出たあとは
習い事をして嫁入りするのが当然で、卒業後に働くのは
貧しさと身分の賤しさゆえであるという偏見があった。
戦後の復興期、看護婦・保健婦・産婆の育成・資質向上、
業務の充実など看護行政のフロントランナーとして
奔走していた時期も、周囲の前時代的な考えに基づく
無理解や反発など逆風も強かった。
理不尽さのあまり何度も辞表を出そうかと思ったというが、
それでも文字通り歯を食いしばり、後世のために戦い続けた。

コロナ禍を通過してきた私たちは、衛生・予防・医療界の人々の
激務ぶり、重要性、ありがたみを思わずにはいられない。
それらは、人類史上に常に当たり前に、必要なことが十分なだけ
用意されていたものではまったくない。
必要性をいち早く知り、絶対に必要だということを信じ抜き、
曲げず、負けず、戦い続けて仕組みを作った人たちがいたからこそ
いまわれわれが助けてもらえているのである。

とくに大正から昭和初期の花田ミキが奉職した当時、
「看護婦は堕落につながる職業」としてさげすまれる風潮が
あったという。
病気や怪我で弱っているときに助けてくれる相手に向かって、
何を勘違いし誤解すればそのように思えるのか、
現代の我々にとっては絶望的で、他人事ながら頭に来るし
あまりの情けなさに涙が出てくる。

まさに放送されているNHKの朝のドラマでも
理不尽さと戦い続けている女性弁護士が描かれているが、
無理解・理不尽・想像力過小の硬直した自意識に対して
生涯をかけて戦い続け蒙を啓いた人々がいて、
そのおかげで今の快適な暮らしが成り立っている。

「よい時代になったな」としばしば思うが、
「なった」のではない。
「よい時代にした」人々がいたのである。
彼女たちが現役の間に変わったのではなかったとしても、
彼女たちが戦ったその跡が、いまの世の中なのだ。
普段自覚しづらいことではあるのだが、決して忘れてはならない。