第9回「書肆みず盛りの知りたい世界」終了しました

書家・伊藤康子さんをお迎えした
「書肆みず盛りの知りたい世界」を
今月は日曜日の昨日、開催しました!

いつもパワフルな康子さんが昨日に限って
乾燥のせいか、喉がかすれ気味…
ですが本番はそれを感じさせない元気な話で
盛り上げてくださいました。

今回は康子さんのお仕事の経緯やエピソード、
仕事に臨むときの心持ちとか姿勢、
どう思って書を書き続けているのか、といったお話も多かった!

康子さんの作品は、頼まれ仕事でない限り
基本的にいわゆる「象形文字」。
活字で使う漢字の基になった、字の意味を伝える
本来の「形」を描きます。
とても自由で「闊達」という言葉がぴったり合う書ですが、
自由に書くためにも「臨書」と言って
お手本通りに書く修練は欠かさないそうです。

このあたりがやっぱり、長く「自分の作品」を
作ってきた人に通ずる芯の強靱さだなあ、と思います。

私自身も、康子さんの書道教室に入門して
はじめてきちんと“字を書く”ということと向き合って、
毛筆への苦手意識を克服、とまでは言いませんが
呪縛が解けたようなところがありました。

毛筆に限らず、字の書き方として
とめはねはらい、などと学校では教わります。
指導要領にそう決められているし、
毛筆でもペンでも、とめはねはらいをうまく付ければ
バランスが整って見えるので“美しく見える”のは
間違いない。

でもそれは“正しい”とか“間違っている”ではない、
文字に正解はない、と康子さんは言います。

漢字も仮名も、絵や記号のような表現から成立した
“象形文字”が基になっているのはなんとなく知っていますが、
その最初、根源の形から今の字になっていくときに
形が変わったり、配置が逆になったり、見る方向によって
意味が変わったりもしたそうです。
その時点で間違ったのだ、と言えば言えるわけで、
根源まで遡れば“とめはねはらい”などは小さなこと。

とはいえ基準がないと身につかないのも事実なので、
ルールはルールとして覚えるのも子供のうちは大事なこと。
自由闊達な字を書くためには、現在の文字が
どういう形をしているか、筆がどう動くのか、を
腕に入れてしまう必要があるんだそうです。

“文字はこう書かねばならない”と縛るものが、
康子さんにはないんですね。
楷書も行書も象形文字も、書きたいから書いている。

ご参加くださった方の質問、悩みに、
康子さんは自分の字が好きかどうかを問い返しました。
好きだという答えに、じゃあいいじゃないですか!と
元気に答えていたのが印象的です。
こう書く、これが正解、ではなくて、好きな字を書くこと。
大事なのはそれだけです。

そういう話になると予想していたわけではありませんが、
ご参加くださった方々が救われた、とおっしゃったのが
本当に嬉しかったです。
字を書くのは楽しいんですよ!
康子さんの書道教室「秀華庵」も本当に良い教室です。
これを機会に書、文字、かたちに親しむことが
増えたら良いなあと思いました。

今回も皆様、本当にありがとうございました!!

旦那さんである、材木町の骨董店「百萬堂」さんもいらして和気藹々と