十皿の料理

朝日出版社
斉須政雄
1992年2月10日 第一刷発行 四六判・184頁 本体1,800円+税

コロナ禍のさなか、書店向けweb商談会という
イベントがあって、当時はまだ間借り本屋だった
書肆みず盛りも参加した。
出版社さんが推薦する本や新刊をプレゼンしたり、
本屋さんと直接面談したりというのを
全部オンラインで行う。

本当に勉強になったが、そのときに
朝日出版社さんの担当としてお目にかかったのが
橋本亮二さんだった。
すでに三輪舎の「本を贈る」は読んでいたので
お名前は存じ上げていたが「渾身、本の営業の人」という
静かな熱意は画面越しでも伝わってきた。

その橋本さんが、この本は料理本ではなく仕事本です、
仕事にも人生にも行き詰まったときに必ず力になる本です、
と紹介してくださったのが本書である。

出版社さんの営業さんという存在に初めて会ったので、
こんなに熱い営業トークってある!?と面食らった。
が、読み始めて3ページで、まるっきり本当のことしか
言ってないとわかった。

出されたものは全部喰え、という言い回しがあるが、
家庭でも外食でも、料理について語るのが好きではない。
素材の産地とか調味料の違いとか、
作った人が言うなら興味深い知識になるが、
食べてる人がそれを当てたり語ったりすることは
美味しんぼみたいで落ち着かない。

料理人が、仕事場でそれを話し合うのは当然だろう。
それは純粋に仕事である。
家庭内でそれを話すのは、家庭と個人の自由である。
単に会話の題材が料理だっただけのことである。
だが外で、他人を前にして味を詳細に語るのは、
それがたとえ褒め言葉でも自己顕示欲のほうを強く感じる。

ペロー夫妻やムッシュ・ベナーは、たぶんそういうことは言わない。
本書に書かれるとおり高潔なのである。
細かい手先の技術うんぬんよりも大事な、それは土台である。

高潔さは、高貴な生まれの人間だけが生まれ持つ資質、
ではない。誰もが手にしうる能力である。

仕事でも趣味でも家族でもいいが、
生きていく上で大切にしたい何かを
本当に大切にし続けていく姿勢によって、
高潔でいられるか、低劣になるかの差がつく。

本書の料理の「作り方」パートも、レシピにはなっていない。
料理に臨む姿勢が書いてある、と私には読めた。

十数年前にパリに行ったときに知っていたら、
お金を振り絞ってでもヴィヴァロワに行ってみたかった。
コート・ドールに行くのが、いまの目標である。