西洋の書物工房

朝日新聞出版
貴田庄
2014年2月25日 第一刷発行 四六判・280頁 本体1,400円+税

初めて製本という行為を実感したのは、
15年ほど前である。
当時の勤め先を退職する、仲の良かった仲間に
アルバムを贈ろうということになった。
同じく仲の良かった凝り性の先輩が、
ただのプリントを市販のアルバムに挟むのでは芸がない、
本に仕立てよう、と言いだし、調べたり探したり
打ち合わせしたりする実務はやらないので私がやった。

そのときに、個人で製本家として活動し始めた方を
紹介していただいて、初めて手製本の一部始終を知った。
革でくるんだモダンな感じのアルバムになって、
完成したときはさすがに自分が欲しくなった。
もう一冊作ってもらっておけば良かった、と思う。

その製本家さんのワークショップにもしばらく通った。
アルバムを贈った元同僚も、その方面が楽しくなったようで
ワークショップに通ったりしていた。
大変に面白い世界なのである。

作業量は膨大で、緻密な仕事でありながら
力仕事でもあり、現代の本の流通量に対して
手製本でできることには限界がある。
それでもやっぱり、憧れを感じる職人の世界には違いない。

大昔の「本」というものは、本文の折り丁を
自分で気に入った表紙などで製本してもらって
完成させるものだったそうである。
当然一冊あたりも高額になるから、現代のように
何度も読んで壊れてしまった本は買い直せばいいや、
というわけにもいかない。

手間もかかるしお金もかかる、庶民の趣味とは
とても呼べない行為だったろうが、しかし憧れる。
革の表紙の手触りと箔押しや型押し、背バンドの突起、
小口の装飾、立ち読みできない重さと大きさ…

こういう時代があって、素晴らしい面もあったが、
不便だったり不合理だったりした面もあるから
現代の本という形に変わってきたのだ、
ということも知ってしまうと、
無線綴じ並製本にも人の手の気配を感じてしまう。

電子書籍にはどうしても興味がわかない。
文章が単なる文字の羅列ではないのと同じように、
本は単なる紙の束ではないのである。