駒草出版
ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー 著/押野素子 訳
2020年2月10日 初版発行 四六判変形・328頁 本体2,200円+税
読む前に、本書はもちろんフィクションであり、
ホラーであり、シュルレアルな世界観で描かれている、
と説明を聞いておかないとかなり衝撃を受ける。
本来、小説というのは特別の断りがない限り
フィクションなので、読めばわかるものだが、
本書では、どこまでが創作でどこまでが
実際に起こった事件を描いているのかわからなくなる。
いや、読後に冷静になれば案外はっきりしているのだが、
読んでいるとわからなくさせられる、という感じか。
“物語の世界に引き込まれる”と言えば言えるが、
そんなに牧歌的な雰囲気は、本書にはない。
ブラック・フライデーというイベントも
本邦でもずいぶん耳にするようになってきた。
アメリカ合衆国の11月第4木曜日は感謝祭。
その翌日がブラック・フライデーで、
小売店では大規模なセールが行われるため
客も殺到するのが通例になっている。
1年で最も売り上げを見込める日、だそうである。
ブラック・フライデーと名付けた最初の由来は
多分に皮肉のこもった意味合いだったそうで、
そのあたりは本書の表題作となった短編
「フライデー・ブラック」と通底するものがある。
表題作では、ブラック・フライデーのセールに殺到した
欲にまみれた買い物客が、映画「バイオハザード」の
ゾンビのようでもあり、作中ではセールの日、
死者も出るのが当たり前、の世界が描かれている。
アメリカ在住の人が読めば、
日常的にセールの日の現実を知っているから
いくらなんでもそこまでは、という感じで
皮肉の効いたユーモアぐらいに感じるのかもしれない。
だが、日本に住んでいて、アメリカの現実を
ニュースやドラマや映画で強調した形で受け取っている
日本在住の私には、一瞬、ブラック・フライデーの
セールでは本当に死者が出ることもあるのかも、と
感じてぞっとしてしまう。
そう読めるような書き方、訳し方なのかもしれない。
事実、抑揚を抑えて淡々と一人称で話が進むあたり、
不気味さを描くにはぴったりの文章だし、そういう意図なら
もう完全に著者や訳者の目論見どおりである。
そうやって読んで、最初の短編「フィンケルスティーン5」で
描かれる事件が、10年以上前に本当にあった事件を
モデルにしていることを後から知ってしまった。
この物語は、妄想に近い創造の産物ではないのだ、と、
読み進めながら薄々感じていた恐ろしさ、おぞましさは
完全に実態をともなって、読む者の背後に立つ。
これは怖い。あきらかにホラーである。
人間ほど怖いものはない、という警句が、
ジョークでは使えなくなる。マジで人間が怖い。
だが読んでおいて良かったと思う。
ブラック・ライブズ・マター運動の見え方が完全に変わる。
争いの元がどういうところにあるか、いかに愚かしいか、
“意識高く問題意識を持”っていると見えないものが
見えてくる、鮮やかな短編集だ。