身近な野菜のなるほど観察録

筑摩書房
稲垣栄洋 著 / 三上修 画
2012年3月10日第1刷発行 文庫判・272頁 本体720円+税

私たちは、野菜のことをまず「食物」として認識する。
だが、野菜はれっきとした「植物」である。
そんなことわかってるという方はたいてい
自宅で栽培しているだろうから自明かもしれないが、
では「白菜の花」がどういう姿で、私たちが普段食べる
白菜のどの部分がどうなって花になるか、
説明できるだろうか。

私たちが普段食べているキュウリは、
実としてはまだ未成熟な状態で収穫している、
ということを知っていたろうか。
熟すともっと大きくなるのはわかるだろうが、
もっと黄色く、水気がなくなっていく。
だから「黄瓜」でキウリだったのである。

未成熟な大豆が枝豆である、というのは
だんだん有名になってきたが、
今でも飲み会の場でちょっとひけらかす雑学の
代表格であろう。

「身近である」ということと「知っている」ことは
こんなにも大きく隔てられている、という事実の
もっとも「身近な」実例であろう。

だが、大事なのは「実の生り(なり)かた」ではない、
と著者はあとがきに書く。
そんなものは昨今、テレビのクイズ番組でも見られる、
いわば雑学のようなものである。
本当に大事なのは、野菜が命、生き物である、という
事実に手応えを、特に子供たちが持つこと。

スーパーの野菜売り場に置いてある物、からそのむこう、
畑で芽吹き、大きくなって花を咲かせ、
実がなって食卓に届き、人間にとって栄養になる。
もちろんその過程には、育て出荷する人がいる。
それを想像することで、より自分の身になるのである。

説明が難しいのだが、若い頃には食に意識を置かず、
何日も何食も同じものを食べ続ける雑な食生活を
送っていた私には、それがよくわかる。
ちゃんと意識する食事と、カロリーの摂取は別物。
なにより、美味しさがまったく違うのだ。

あとがきには「となりのトトロ」の台詞も引用される。
サツキの台詞は決して、きれいごとじゃない。