「金の船」ものがたり

毎日新聞社
小林弘忠 著
2002年3月20日発行 四六判312頁 本体1,100円+税
※バーゲンブックです

国家全体が近代化を志向していた明治時代、
“国家に有為な人材の育成”を企図した少年少女雑誌が
多く発行された。

「勧善懲悪」とか「忠勇義烈」などのテーマは、
酔っている間は満足できるかもしれないが、
冷静に見てみれば興ざめなストーリー展開も多く、
後に続く時代の文人たちは忌避し、反省した。
その反省が、子供向け雑誌の芸術面での充実につながっていく。

大正期の子供向け雑誌でもっとも有名なものと言えば
『赤い鳥』だろう。
夏目漱石の弟子だった鈴木三重吉が主宰し、
芥川龍之介「蜘蛛の糸」が掲載された。
執筆陣は森鴎外、泉鏡花、島崎藤村、徳田秋声、野上弥生子、
北原白秋、芥川龍之介…いわゆる“文豪”ばかりである。

子供たちが毎月楽しみに読む作品がこのラインナップ。
贅沢、というか信じられない充実度である。
文豪たちは、慈善事業として子供だましの作品を書いたのではない。
子供たちに、きちんとした筋立てで上質な物語に触れてもらうことは
未来のために重要な仕事だと思って、本気で書いたのである。

先述の「蜘蛛の糸」も、今でも大人が読んでも得るものがあり、
面白みを感じられることを鑑みれば、彼らの意欲が正しい形で
世に出て、後世に引き継がれてきたことがよくわかる。

その『赤い鳥』の発刊を見て触発され、自分でも子供向け雑誌を作ろう、
と志したのが、斎藤佐次郎。
馬車につける防水幌や雨合羽など、時代の要求に合わせた商売で
父親が莫大な財を成し、その遺産で裕福に暮らしていた文学青年だった。
出版事業者の横山寿篤に出資を焚き付けられていたところへ、
先述『赤い鳥』の華々しいスタートを見て、児童文学出版への道を
邁進していくことになる。

出版当初から島崎藤村、若山牧水、西條八十、有島生馬らの賛同を受け、
八十からは野口雨情を紹介される。
童謡「しゃぼん玉」「てるてる坊主」や流行歌「ゴンドラの唄」などを
作曲した中山晋平とも付き合い、中山から本居長世の紹介も受けて、
『金の船』には良質な童謡がたくさん掲載され、
現在まで歌い継がれる童謡の普及を牽引した。

“裕福なボンボン”が志ひとつで始めた事業が、
100年歌い継がれる歌、読み継がれる物語を生み出す場を、
その名を語り継がれる文豪たちに提供した、という成功物語。
メディアが乱立し、作品と商品の区別もつきづらくなり、
経済が複雑化しすぎた現在から見ると、俄かに信じがたい。

しかも斎藤の志は、最後までまったく変わらなかった。
協力して起業した横山と金銭上の問題で手を切ったあと、
『金の船』は横山が発行名義人になっていたため使えなくなったが、
『金の星』と名を変えて出版を続け、会社名は『金の星社』となり、
現在も良質な子供向け書籍を作り続けている。

昔の事業やサービスや商品の成功譚は、何につけ
「同じものが他になかったからうまくいっただけだ」と
現代から振り返って神の視点で軽視しがちだが、
子供向け書籍の世界を見ていると、そうとばかりは言えない、と
いつも思ってきた。
その最もわかりやすい一例が、『金の星社』の来し方に顕れていると思う。

著者は元・毎日新聞の記者だったそうで、
ノンフィクションと小説の間を取ったような構成は
元記者らしい読ませ方が感じられる。
伝記のような読み物として楽しめる本である。