機会不平等

岩波書店
斎藤貴男
2016年11月16日 第一刷発行 A6判・348頁 本体1,100円+税

岩波書店からは2016年に発行された本書だが、
底本は文藝春秋社から2000年11月に発行されている。
序章は書き下ろしだが、実際は四半世紀前に
出版された本ということだ。

だが内容を読むと愕然とする。
この四半世紀、社会は良い方向には
なにも変わってないんじゃないか?

ここで各章の内容に詳細に触れるより、
ぜひ多くの人に読んで欲しいと思う。
それによって感じることに対する
ひとりひとりの行動だけが、結局は
世の中に資するものなのだと思うから。

あえて触れれば、第1章の最後に出てくる、
私立学園の学園長へのインタビュー。

職業に貴賎無し、とは、本音はともかく
建前としては誰も反論できない正論だと思う。
普通なら、だから誰がどんな仕事をしていても自由で、
それぞれに意義があり、価値がある、という方向に
考えが進むもの。

これが、しゃべる人間によっては示す内容が全く変わる。
一部の恵まれた人、しかも自分が恵まれているのは
その権利があるからだと信じてやまない人間にとっては、
職業に貴賎はないのだから肉体労働者の子は肉体労働を
胸を張って堂々と受け継いでいけ、
社会を引っ張っていくのは我々に任せておけ、
という方向に捻じ曲がる。

まったく、捻じ曲がっているとしか言いようがない。
章を読み終えて吐き気がしたぐらいだ。
私には子はいないが、関わり合いになる全ての若い子には、
人間は選んだり選ばれたりするものではないと
言い続けようと強く思う。

ここ数年、過剰なまでの能力主義・格差是認の
トピックが毎年必ずいくつか、炎上騒ぎになっている。

人間には能力差があるのだから格差は当然、
男女には現実に差があるのだから以下略、
人種によって以下略。
それを言ってる人間は常に必ず、例外なく、
自分は優れた側にいて優遇されるべき前提で話す。

結びの一節、

現代の指導者層に最も不足しているのは、
数多の提言が唱えるような創造力でも独創性でもない。
他者の心や境遇に対するごく常識的な創造力と、
人間としての最低限の優しさである。

このわずか100文字足らずが、そういう人間に対する
答えの全てだと思う。
どうせ理解できまいが。