岩波書店
木下杢太郎 画 / 前川誠郎 編
2007年1月16日第1刷発行 文庫判・228頁 本体1,700円+税
木下杢太郎、詩人・劇作家として知られ、
本名の太田正雄のほうでは医学者として
細菌研究でフランスのレジオン・ドヌール賞を
授章するほどの業績をあげた。
つまるところは多芸多才な偉人なのであるが、
本体、本質は画家なのではないか。
この本を読んでそう思った。
本書は、木下杢太郎が戦中の昭和18年から20年、
劣勢を強めて灯火管制も厳しくなるなかで、
毎夜書き綴った、植物図譜である。
ときどき、植物の絵を描いた日の日記が挟まれている。
その絵が細密で、紛れもなく図鑑なのだが、
少し腑に落ちないところがあった。
通常の図譜、図鑑用の絵のようなものはたいてい、
平面上で見やすいように枝の向きを変え、
葉の開き具合を変え花の向きも変えて、
植物を平面に仕立て上げてから写す。
つまり標本を写生している。
木下の絵にはそれがない。
たとえば葉が茎の手前にも向こうにも垂れている。
茎から花が、おそらく太陽があるであろう上方を向いて
咲いている。
科学的にはおそらく精確に、咲いている姿を
そのままに描いて美しい。
そうした絵を、なんと872点も描いたのだという。
19番の七変化(ランタナ)の日記に、
農学部の庭でよく見もせずに折って放っといた枝を
夜によく見たら可憐だったので急いで描いた、
というようなことが書いてある。
日記も気取らずざっかけないのだが、
絵もそんな具合で気負わずにさらっと書き綴ったようだ。
それでこの精度、美しさなのだから恐れ入る。
医学者、医師としても多大な業績を上げているぐらいだし、
観察力には優れていたのだろう。
先述したとおり、872点という気の遠くなるような数の
花や野草を描いた百花譜から、本書では
本当に表題通りぴったり100点を選んで編んだ。
選ぶほうも大変だったろう。
杢太郎は、なぜこういう絵を描き本を遺したか、
ついに語らなかったらしい。
解説に編者の推測が書いてあるが、そこもぜひ読んで欲しい。
知の巨人、怪物は牧野富太郎だけではなかった、と
あらためて知ることが出来るだろう。
手軽に写真を使えるようになった現代の図鑑よりも、
咲いている姿を強く想像させる。
872点、すべて見てみたい気にもさせる。
有名な言い草のとおり、雑草という草はないのである。